2011年10月22日土曜日

The Stingrays Interview!!!!!!!


11/3(祝)のKids Are Backに出演するThe StingraysのRuss氏のインタビュー。
来日前にこのインタビュー読んでカウントダウンの準備でもしようじゃないか!
忙しい中、訳してくれたジュン君本当にありがとう!!
Let's "Count Down"!!!!!

インタビュアー: Mokuo / 訳: Jun Nakamura

◯まずは自己紹介からお願いします。
俺はRuss。
すべてが変っていく中、メインソングライター/ヴォーカリストとしてずっとバンドに居続けてるよ。
Paulがベーシスト。でもAvon Callingではリズムギターもプレイしてるよ。

◯子供の頃に聴いた音楽はなんですか?
子供の頃、教会の教母さんからもらったThe BeatlesのHard Days Nightのサントラが初めてのアルバムだよ。
その後、その人がコレクションしてたBeatlesのシングルを全部もらったんだ。
彼女はThe Peacemakersの"How Do You Do What You Do To Me"も俺にくれてさ、この歌をあらん限りの声を出して歌うのが大好きだったよ。今でもね!
その頃からThe Whoの"I Can See For Miles"が俺にはどんなポップレコード以上の曲って思いを植え付けてくれたんだ。
それはタイムマシーンみたいなもんでさ、それを聴くと周りが未知の世界だったガキの頃に俺を引き戻してくれるよ。

◯影響を受けたアーティストやバンドなどを教えてください。
Eddie CochranのSummer Time Bluesの作者Duane Eddy、Ducks Deluxe、Dr Feelgoodみたいなパブロッカー。
The Sensational Alex Harvey Band、Mick Ronson。
俺はSuffragette Cityでギターとベースがいかにフイットしてるか聴いたもんさ。
で、思ったんだ、これが俺のやりたいことだってね。
美しく明快なT-RexのJeep Starは歌の仕組みを覗いたような気になったよ。
Mott The hoople"The Golden Age Of Rock n Roll"のAeral Benderのソロは
Count Downにおける俺のソロパートに影響を与えてるよ。
テクニックよりもむしろエフェクトってね。
俺は何回かステージで彼に及ばずながらだけどやってみた事があるんだ。
あと、The Clashの1stには作曲と曲構成の影響を受けたね。
WireのDot Dash、Rich kidsのGhosts Of Princes in Towerにライヴ。
The BoysにThe BoysのHonest John PlainとThe LurkersのコラボしたNew Guitar In Town。

 あとイギリス映画のThat'll Be The Day。この映画の最後、David Essexがギターを買うと店の店主が”君はギターを弾けるよ”ってシーンが俺にパンクを始めさせる気持ちにさせたんだ。
この映画の衣装はMalcom MclarenとVivian west woodが担当したんだ。
彼らが着ていたもエアセーターがパンクフアッションになったんだ。
Clint Eastwoodの"The Unforgiven"からも、今この瞬間俺たち何をすべきかって影響を受けたよ。

◯The Stingraysの結成の経緯を教えて下さい。
The stingraysは1977の5月に結成されたんだ。
その時オリジナルベーシストのBill"The Bass"Stairが俺のところに未完成だけど何曲かのアイデアを持って来たんだ。
俺たちは最初から音楽的にウマがあってね、その日の午後の内に5〜6曲仕上げたことを思い出すよ。
俺たちはDrに俺の級友Dean Sidney(Deanはいまだにバンドに関わっているよ。
彼の家は俺たちのリハーサルやレコーディングをブリストルでやる時に使ったんだ)。
それからPete ThelkeをVoにして彼の歌詞を加えたのさ。

そのラインナップでの初ライヴは9月にBristolsで有名なDougut Clubで、最後はその年の大晦日だったな。
The Stingraysの今の音楽スタイルは1978年の春、ベースのChris Bostockが加入して出来上がったと言って良いよ。
このラインナップでデモを録音したんだ。
このレコーディングでのSean Mcluskeyのドラムは、
かなりDeanの影響を受けているにも関わらず彼は変わった鋭いスタイルを持っていたね。
何故The Stingraysを始めたかって?
Eric Claptonの"461 ocean boulevard"がNew Wave勃発以前に何が起こっていたかを良く要約してるよ・・・
確かに演奏は上手いけれど、音は芝刈り機みたいなもんで・・・それは全く退屈だったって事。

◯ブリストルのシーンについて教えてもらえますか?
会場は沢山あったけどNew Waveのバンドは求められてなかったんだ。
だから最終的にはフォーク系のStonehouseやThe Bamboo Clubみたいなレゲエ系の会場に交じって演奏したよ。変な感じだったな。
Generation Xの"Your Generation"にある一節"Might Make Your Friend Enemies"の中に、その時何が起こっていたか要約されてるよ。
演奏してる奴らはギグが開催されたTiffanny'sみたいないくつかのダンスホールでNew Waveシーンに巻き込まれた連中の事なんて知りたくなかったのさ。
70年代後期古い教会だったTrinityはオープンだったし、沢山の雰囲気を持ってたよ。




◯バンドメンバーについて教えてもらえますか?
Deanがバンドから去った時、Chrisと俺はJohn Joeと、
Various Artistにいた彼の兄弟と何回かリハーサルしたよ・・・
後にEssential Bopに入るDanとも合わせてみた。
でも彼は”へヴィメタルバンドには入りたくない”って言ったんだ。
俺たちはいつでもノイジー過ぎたからね!

ウエストベリーパークのCharch Hallでのギグの後、Glaxo babiesを結成したギタリストが俺たちにくっついて回ってたのを思い出すよ・・・
初期StingraysのヴォーカルPete ThelkはSocial Securityのオリジナルヴォーカルだったんだ。
DeanはThe Pop GroupのJohn WaddingtonとThe Boyfriendsってバンドにいたし・・・
オリジナルベーシストのBill"the Bass"StairはArt Objectsを結成したよ。

The Crystal Theatreのリハーサルルームはすごく立派な楔形の建物なんだけど、
チーズの煉瓦を積み重ねて建ってるみたいだったな。
今は壊されてしまってるけど、そこでもよくライヴをしたもんさ。
実際そこはfried egg所属のバンドほとんどがリハーサルやミーティングに使ってたんだ。

◯1stシングルである"Count Down"のリリースの経緯を教えていただけますか?
"Count Down"は自分達のレーベルからリリースするためにオレ達自身でレコーディングしたんだ。
でもSound Conception StudioのエンジニアKen WheeleのFried Eggレコードからリリースされたんだ。
オレ達のすべてのデモや音源はそこでFried EggレコードのAndy Leightonの為にレコーディングしたからね。
シングルのレコーディングと、それがFried Eggからリリースのオファーをもらう間、Chris Bostockはバンドを脱退することを決めたんだ。
"Count Down"の宣材写真とポスターには彼の代わりとしてTimが確認できるよ。

"Count down"にフューチャーされてるフィードバックのソロの一つは、
少なくともレコーディングが終わった後の6週間の間、付け加えられる事はなかったよ。
Ken Wheelerと話し合ってその曲に少しばかりの「特別な何か」が必要と考えたんだ。
一回目のテイクは首尾よく終わったんだけど、俺はより良くプレイするにはどうするかって考えたんだ。
そして、2回目のテイクでそれをやってみたんだ。
ギターはJedsonのLes Paulのコピーモデルを使ったよ。
安物だったけどグレートなピックアップが付いていたんだ。

◯ブリストルのコンピレーション"Avon calling"について教えていただけますか?
Avon Callingはブリストルからさほど遠くないBathでレコーディングされたんだ。
俺たちのほとんどのレコーディングを行ったSound Conception Studioから離れてね。
そういえばレコーディングしてる最中Korgisのリーダーが来たよ。
彼はとても助けになったよ。
でも奇妙なことに一番覚えてるのはレコーディングが終わると
俺達すごく幸福な気分になってさ。
で、スタジオの近くの児童公園へ行ってブランコに乗って遊んだことだよ。

◯1981年に2ndシングルである"Never Do"がリリースされていると聴きましたが....
そうさ、"Never Do"はCricus Recordsからリリースしたんだ。
Paul Johnがスタジオでアシスタントして働いてくれたよ。
スタジオでデモから正式な音源へ発展させたんだ。
俺たちの初めてのテレビ出演は6.00 o'clock Newsだったよ。
このシングルの発売記念はブリストルの有名なクラブの一つ
The Granaryで開催されたんだ。
おそらくほとんどの70年代のイギリスのバンドがそこでプレイする為にブリストルに来たんじゃないかな。
それはとても素晴らしい夜だったよ。

◯1981年以降の事を教えて下さい。
1981年はすごく良い年だったかもね。
俺は"Never do"と最近"Back Across the Rubicon"としてリリースしたデモのコピーをThe FreshiesのCris Sevevへ渡したんだ。
彼は俺達がMCA recordsと契約することを望んでたよ。

でもその時Crisが俺と他のメンバーにこの件に関して連絡したんだけど、Paul JohnsonとMark Paigntonはバンドを脱退するって決断したんだ。
一人ぽっちになってしまって、かなり落ち込んだね。
で、俺はパリに住む事にしたんだ。

俺はパリにあるほとんどのスタジオに通ったよ。
でも、借りることはできなかったんだ。
フランス人の娘と結婚して、バンドの為に作っていた服のおかげでファッション産業に関わることになったんだ。
俺が3年半後に復帰するまでに俺の知ってる奴らや俺の音楽関係の仲間は皆消えてしまったと思うな。
俺は25年間ほとんどの奴らを再び見かけることはなかったね。
でもバンドは先の見えないブリストルの音楽産業と結びついてるんだよ。
俺はウエールズ人なんだ。西ウエールズ地方に戻って1984からいまだに住んでるよ。

ダンスミュージックの台頭は80年代俺の音楽スタイルがもう時代に合わないんだって意味していた。
俺は再び音楽シーンに関わるようになるのはNIRVANAが出てきたり、Catatoniaみたいなウェールズ語音楽のシーンが形成される90年代初頭まで待たなくてはならなかったんだ。
俺は自分のレコード屋Siop Yn Liawn Ostwr(Shop Full of Noise)をその時分始めたんだ。

2007年に俺が"Back Across the Rubicon"の為の音源を集めるためにPaul Matthewsに連絡を取ったと同時に、新しいStingraysのライヴの可能性も出てきたんだ。
俺の音楽が今でも通用するのか試練として匿名で世に出すことにしたんだ。
結果的にBBCで"Back Across The rubicon"から2曲プレイされたよ。
"Perfect"をBBCウェールズでAdam Waltonが、"Thinking"をBBC Radio6でTom Robinsonがプレイしてくれたんだ。
それ以来物事にはずみが付いたよ。

◯昨年の日本ツアーについて何か教えて下さい。
俺は日本で"Countdown"の7インチが出回ってるって言われたんだ。
2002年に"Countdown"が1977レコーズから再発されていたなんて思いもしなかったよ。
思うに、CallのIan MartinとResposse Recordsにコンタクトすることで日本ツアーの考えが発展したんだ。
実際俺たちはIanの助けなしには出来なかったろうね。
でも、まだそれが非常に楽しい経験だったとは予想できなかったよ。
俺は日本に沢山の"Countown"の7インチがあって驚愕したね。
行った方々でそれにサインしたよ。

◯私たちは来年もまた日本に来て欲しいと思っています。
俺たちは2012年に再来日したいと切に思っていて、それはもう計画してるんだけど、
実際、次に行ったときにプレイしたいと思っていた会場から使えないって返事を受け取ってるんだ。
もし皆が俺たちを観たいなら、毎年でも行ってあげるよ!
俺たちは日本が好きだし、皆とてもフレンドリーだし、地元にいるみたいさ。
日本の音楽を聴くのもね。

俺はライヴハウスのシステムが好きだし、ほとんどの会場に俺のフェイバリット、Marshall JCM900(いくつかは50ワットだけど100ワットが好ましいね)が置いてあるしね。
Ianのおかげで九州でも何回かライヴもできたんだ。2012年は他の地方にも行けると思うよ。
もし俺達とコンタクトを取ったりライヴの情報を知りたければ、stingraysgigs@hotmail.comに
連絡するか、myspace.com/stingraysをチェックしてみてくれよ。



Saga-young

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